終戦の日に想う

にんしんSOSを運営する者として、日々、“いのち”に向き合っている私ですが、毎年、この時期になると思い出す詩があります。

高校の教科書で知った、栗原貞子さんの「生ましめんかな」という詩です。

作者の栗原貞子さんは、たくさんの人に読んで欲しいということで掲載に制限をかけなかったというお話なので、ここでも紹介させていただきます。

「生ましめんかな」

こわれたビルディングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭
汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

(『中国文化』1946年3月)

戦争という、人のいのちを虫けらのように奪う(虫さんごめんなさい)愚かな所業の中で、それでも生まれてこようとするいのちと、いのちをつなごうとする存在。

私は、(助産師ではないけれど)、この産婆さんのような存在でありたいと思っています。

                      代表理事 東田美香